大明皇妃-あらすじ-43話-44話-45話-感想付きネタバレでありで!

ご訪問くださりありがとうございます!
クルミットです♪
永楽帝存命の頃から、長く朱瞻基を悩ませ続けてきた「二人の叔父問題」。宣徳帝として即位しても、二人の叔父は復讐を諦めず、結局双方に大きなダメージを与え、胡善祥が皇后の座を廃され若微が皇后に冊立されて、ようやく事態は終息しました。

今回の43話は、このドラマの第1話冒頭の場面の時代にちょうど到達します。今見ると色々発見があるかもしれません。そしてここから次の時代へと大きく動いていくことに…

【大明皇妃 -Empress of the Ming-】(ネタバレあり)

第43話「新たな皇后」

孫若微が新・皇后の冊封の儀を行っていた頃、胡善祥は廃后となり、朱祁鈺と共に皇宮を出て三清観に出家していた。そこでは厳しい修行を課せられ、毎食ごとに皇帝と皇后の幸せを祈るようにと命じられる。
胡善祥は無表情なほど、怒りと復讐に燃えているような気がします

宣徳帝は若微に祁鎮立太子の意向を伝え、永楽帝が北伐前に遺した聖旨を見せる。そこには、若微の帝位簒奪の可能性を示唆し、将来子をなし朱瞻基が早世すれば誅殺せよとあった。宣徳帝は若微に「朕が死んだら殉葬を望むか?」と尋ねる。
永楽帝の手のひら返し!信頼関係ができていると見せかけて、こんな聖旨を遺すとは…

朱高燧は生涯誰かと言葉をかわすことを禁じられ、小さな屋敷に軟禁されていた。彼はこれまで知りえた秘密を、壁に穴をあけては埋め続けていた。朱高燧が6歳の時、ある和尚に「袋の生まれ変わり」と言われたという。一度秘密を入れると出すのは難しい、そんな多くの秘密を抱えた「袋」のまま、朱高燧は宣徳8年息を引き取った。
朱家の男たちの中でも最も屈折した朱高燧らしい、壮絶で悲しい最期ですね

オイラト討伐の親征で受けた深手は次第に宣徳帝の体を蝕み、自らの余命の長くないことを悟る。皇太后には2歳になっても歩けず話せない孫・祁鎮のことが悩みの種で、宣徳帝は、祁鎮が治らなければ祁鈺を皇太子に立てるが、人となりがふさわしくなければ藩王の息子の中から養子をとろうと提案し、皇太后に摂政となり国事に関与させることに。
ちょうどこの頃が第1話冒頭と同じ時期になるのでしょうか…

宣徳帝はお忍びで三清観を訪ねると、祁鈺は初対面の宣徳帝を父だと理解する賢い子だった。「一緒に来ればおいしい物が食べられる」と誘うが、祁鈺は胡善祥の顔色を窺い、後ろに隠れてしまう。「あの時引き取っておけばよかった」と悔やみながらも、無理に母子を引き離すこともできず、宣徳帝は三清観を後にする。
一方、祁鎮の状態は改善の様子がなく、侍医たちは眠っている間にお灸をすえてみたものの一向に効果があがらず、若微は水疱ができるだけだと怒ってやめさせる。
ここで祁鈺だけを引き取っても、色々揉めるだけでいいことないですよね~

精神的に追い詰められてきた若微を、宣徳帝は雪の中で歩こうと誘い出す。かつて姚広孝が38歳までしか生きられないと占った年齢になった宣徳帝だが、自分でもう数日も持たないことを自覚し、若微に「自分の一生を後悔しているか?」と尋ねる。若微は宣徳帝から家庭と息子を授けられ後悔などないと答えるが、逆に問い返された宣徳帝は答えられない…
姚広孝を「君が殺した」って、それは思っていても言ってはいけないお約束…

三楊と于謙は謁見し、皇太子についての懸念を上奏する。宣徳帝は「祁鎮の治療が不可能なら別のものを選びなおす、ただし皇太后の意見をよく聞くように」と指示する。宣徳帝は朱家三代に仕えた于謙を重用しなかったことを詫び、「もし高い地位を与えたら碌な死に方はしない」という永楽帝の言葉を伝える。于謙は「太宗こそが私を知る者」と感慨を覚える。
宣徳帝は退出する四人に「日月と山河は永遠なり。嘆かずにゆっくり行こう」と…
「民の血で染まっている」と言われた赤い官服の三楊の嫌そうな顔がちょっと笑えました

若微は、殉葬は祁鎮が幼すぎるため数年待ってほしいと言う。宣徳帝は殉葬者の名簿から7回も若微の名を書いては消したものの「君の命を君に返す」と言い、若微は我が子の補佐を死ぬまで務めると誓う。宣徳帝は息子に「己の生き様を己で決めてこそ、最高の人生だと言える」と伝えるようにと言う。
夫から7回も君の簒奪の可能性を疑った、って言われるわけで、それは嫌ですよね~

宣徳帝が振り返り玉座を見ると、そこには竜袍をまとって得意げな朱高煦の姿があったが、もう宣徳帝は叔父を恐れていない。いつしか倒れていた宣徳帝は、若微と過ごした10年の日々を想い、若微の膝に抱かれていた。若微も初めて出会った時のように共にいると…
公元1435年1月31日、宣徳10年、宣徳帝・朱瞻基は37歳で崩御。
朱瞻基はなんとナレ死?!最後に流れていたのは1話で謡っていた「单刀会」でしょうか

胡善祥は「皇太妃」の位を与えられ、「郕王」・朱祁鈺と共に皇宮に呼び戻される。遺詔を伝えた宦官は今後の引き立てを期待して、皇太子が立てず話せないことを吹聴していった。胡善祥は我が子に「この日を覚えていなさい、生きていれば勝てるのよ」と言い聞かせる。
胡善祥復活!永楽帝もどっちかというと胡善祥の方がヤバイと疑ってほしかった…

六部九卿の協議により帝位継承者が決定する会議の前日、若微は太皇太后・張妍を訪れるが、祁鎮の状態が変わらないと聞き出席したくないとごねる。さらに胡善祥に情けをかけて皇宮に戻したのが若微だと知って「死ぬべきだったのはあなたたち」と怒りを爆発させる。若微は永楽帝の遺詔を持ち出して「死ぬ覚悟はできている」と答える。
若微は、すでに胡善祥が「実の妹」ではない何かになっていることに気付くべきでは…

協議当日、宣徳帝の皇子二人が大殿に顔をそろえる。議論が紛糾する中、祁鎮は若微がなだめすかしても一向に歩きも話しもしない。若微は苛立ちを爆発させ、「最後の瞬間までこの子の継承者の地位は奪わせない」と叫ぶ。胡善祥はその様子を冷ややかに横目で見ていた。
若微がこんな風に祁鎮の即位にこだわるのは、なんとなく「らしくない」感じというか…

スポンサーリンク

第44話「9歳の皇帝」

朝臣たちは立ても話せもしない朱祁鎮を皇帝に立てることに難色を示し、若微は心ない言葉を耳にして激怒する。若微が泣き伏したその時、祁鎮が自分の足で立ち上がって歩き始め、若微と朝臣たちはその後を追いかける。やがて祁鎮は龍陛の龍の彫刻にまたがって「カカレ!」と号令を発し、朝臣らは幼い新帝に跪拝し万歳を叫ぶ。祁鎮が繰り返し叫ぶ「コロセ!」の声に、胡善祥は思わず耳をふさぐ…
龍陛に実際に乗ったのを初めて見ました。皇帝しか乗れない龍陛、乗らないですよね~

朱祁鎮はまだ幼いため皇太后・孫若微が補佐として政務のほとんどを担っていた。一人寝が怖い祁鎮は、若微に寝所で一緒に寝てほしいと頼むが、皇帝以外は寝所で寝ることは許されない決まりだと、若微は幼い我が子に言い聞かせる。
いつか皇帝になるではなく、すでに皇帝である幼子を皇帝に育てるのは難しそう…

ある日太監の金英が、姪の双喜を側仕えにと紹介する。若微は山のような奏状に目を通していたが、疲れている様子を見た双喜は思わず代筆を申し出て許されるが、よどみなく下される判断に必死についていく羽目に。双喜は若微が怒った「尊号の進言」とは何かと質問するが、それは若微に女帝になれという声があるという意味だった。やがて双喜は居眠りし、若微はその顔にいたずら書きをして「お化けだ!」と起こして大笑いする。
若微の笑顔は珍しい。双喜が詩歌に強いのは、第1話冒頭の朗誦で出てきましたね

一方、朱祁鎮は我儘な皇帝になっていた。若微は祁鎮が宦官たちに水をかけて嘲笑しているのを見て「これはいじめだ」と激怒し、懇々と諭して罰としをくわえる。しかし祁鎮は全く反省せず、祖母・太皇太后の慈寧宮に逃げ込んで、お菓子をもらって甘やかされるのだった。
強烈な三文安製造機がここに♪張妍が地雷になるとは思いませんでしたよ~

ある日宮中の者たちの野遊びで、若微は錦衣衛と弓術を競い、祁鎮は宦官の少年たちと凧遊びをしていた。そこに混ざっていた祁鈺が凧を壊したと、祁鎮宦官たちにいじめさせる。気付いた若微は朱祁鎮を厳しく叱りつけるが、現れた胡善祥は祁鈺の頬を張る。
若微は胡善祥に詫びを入れるため、たくさんの手土産を持参して会いに行くが、胡善祥の態度はよそよそしく恨みがましい。
永楽帝の息子たちが幼い頃も、こんな殺伐とした兄弟関係だったのでしょうか…

祁鎮はその後、太皇太后のもとで甘やかされ機嫌を直していた。若微が訪ねると、太皇太后は今夜陛下を慈寧宮で寝させると言う。亡き先帝の代わりに躾ているのだと言う若微に「先帝は私が育てた」と太皇太后は皮肉って見せる。帰りに若微は「あまりお祖母様の宮殿にはいかないで」と懇々と諭し、母子は笑って仲直りする。
これは!祁鎮が慈寧宮で遊んでいたのは、もしやあの懐かしの白毛閣大学士では?

朱祁鎮は9歳で即位し、正統帝の治世となったが、玉座では同年代でお気に入りの宦官・王振と遊んでばかり。太皇太后・張妍と皇太后・孫若微が並んで朝臣らの奏上を受け、若微が太皇太后に解説するのが朝議の風景に。このところアルクタイではマハムードの死後エセンが入り込んで不穏な動きとなっていた。その報告に来ていた大同守備軍の将軍・陳文栄が、腹の冷えで放屁の音を大殿に響かせたため、朱祁鎮は大笑いし、無礼だと太皇太后は激怒する。若微だけが将軍をねぎらい、温かい食事を用意させる。
この状況だと若微に女帝になってくれという奏状が出て来るのもやむなし、ですよね

第45話「子だくさんの宦官」

皇太后・孫若微が陳将軍の無礼を咎めなかったため、太皇太后・張妍は怒って宮に戻る。そこに弟・張克倹が来て、オイラトと交易が再開したら自分を管理の役職に就けてほしいと、言葉巧みに見返りの旨味と、皇太后への牽制の意義を説く。若微が交易再開についての説明に来たため、太皇太后は交易管理の役職に弟を推挙するが、仕官経験のない張克倹の採用を渋られさらに気分を害す。
あぁまだもうひとり「困った叔父」が残っていました。朱瞻基亡き後も祟る叔父問題…

陳文栄は大殿の外でようやく食事にありつけるが、「自分は死刑になるのか」と不安になっていた。そこに若微の侍女・双喜が、皇太后の下賜した温かい汁ものを手ずからよそい、優しい言葉をかけたため、陳文栄は男泣きする。
于謙の時のように、致命的なやらかしを責めず、温情で忠心を得るのが得策ですよね

正統帝・朱祁鎮は、庭にあった蜂の巣を落として蜂に襲われる。逃げきれず転んだところ、側仕えの宦官・王振が身を挺して守った。また、祁鎮は楊士奇に講義を受けるが、唐の太宗・李世民と魏徴の逸話の教えを聞かずに大声を出す。皇帝らしからぬ振舞いに、罰として楊士奇は10回打つよう命じるが、代わりに王振が叩かれたため、祁鎮は胸を痛める。しかし講義が終わるとけろっと飛び出していく息子に、若微の悩みの種は尽きない。
まだ幼いとはいえ、ちょっと先が思いやられますね。朱瞻基が生きていれば違った?

若微は、太皇太后が交易の管理に張克倹を、しかも内閣に直接という掟破りで推挙してきたと聞いて呆れるが、楊士奇は「宮中で最も重要なのは、皇太后と太皇太后が仲睦まじくあることだ」とし、太皇太后の面目を保ってもうしばらく我慢を、と進言する。
楊士奇は、たまに日和見主義な対策を講じて失敗しますよね…

祁鎮は自分を守り、身代わりになってくれた王振に入れ込み、ますます重用するように。
そして時は流れ…正統14年、公元1449年。青年に成長した朱祁鎮の寝所に若微が激怒して乗り込み、王振に詰問する。洪武帝が建立した宮門の鉄碑に「宦官が政務に関与した場合は斬首」とあるが、王振は6人の養子や骨董店を使って官吏から賄賂を受け、政務に介入していたのだ。若微は王振に死刑を命じるが、祁鎮が阻止する。
大きくなっても暗君のままに育ってしまいましたね。これは大明帝国大ピンチです

若微は息子と話し合おうとするが、祁鎮は干渉を嫌い、親征を執りたい、今後は関与しないでくれと言い放つ。若微はなぜ息子のあまりの愚かさに呆然とする。
朱祁鎮は王振の養子や金の件を知らなかったが、王振は「金を稼いでいるのはすべて陛下のため」とうそぶき丸め込む。そして王振は養子たちを連れて、宮門の鉄碑を撤去してしまった。その養子たちの中で、何かと理不尽なはけ口となっている宦官に喜寧という者がいた…
祁鎮の頭の悪さと、王振の口のうまさの、その落差が激しく絶望的ですよね~

張克倹は交易の管理者として任命されるが、毛皮商人の馬車を襲い、殺害と略奪を行ってオイラトから抗議が来る。部下となった陳文栄は、張克倹が軍報用の早馬を勝手に使うことにも怒るが、聞く耳を持たない張克倹は抗議に来たオイラトの使いも殺してしまう。
この困った国舅、無能なだけじゃなくて山賊じゃないですか…陳文栄かわいそう…

張克倹が献上した毛皮の出どころも知らず、太皇太后は祁鎮に一番良いものを外套に仕立てて与えていた。祁鎮は喜び、二人は若微の陰口をこぼしあう。そこにやってきた若微は、祁鎮を公務に追い出し、太皇太后との大事な話し合いに向き合うことに…
この状況で「若微が親政の邪魔をしている」と考える認知の歪みが、国を滅ぼしそうです

スポンサーリンク

43~45話の感想

宣徳帝の御世が、あっという間に終わってしまいました。あんなに若々しくキレのあった朱瞻基ですが、病弱だった洪熙帝よりも若くしての崩御で、在位期間は10年もあったのにほぼ叔父たちともめて終わった印象だったのが残念です。しかも最後の方は、若微に「いいか~簒奪するなよ~絶対するなよ~、するのなら殉葬だぞ~」って匂わせばかりで、積み上げてきた好感度を蹴倒して去っていったような、後悔ばかりの人生だったように感じます。彼が普通に長生きしていたら、明はもっと長く続いていたかもしれないのに、本当に残念。
これで、イケオジ揃いだった朱家の初期メンズが姿を消してしまいました。朱家ロスです。かなり悲しいです。

そして一気に時代が変わり、これまで続いてきた朱元璋の遺伝子は消滅したかのような、出て来る皇帝が次々に暗君という、明の暗黒時代に突入していきます。ここからは「女医明妃伝」と同じ時代に突入しますので、あちらのドラマをご覧になった方は、朱祁鎮のダメぶりに、先行きが予想できて不安を感じられるかと思います。
祁鎮のおつき宦官・王振は「女医明妃伝」でも登場していました。あちらでは朱祁鎮よりもはるかに年上の老獪な人物でしたが、こちらでは君臣同年代に設定され、それがより「若いのに子沢山の宦官」の滑稽さと、若くして金儲けに長けた末恐ろしさを感じさせます。

また、宣徳帝の「叔父問題」は崩御後も続いていたようで、もうひとり母方のダメ叔父が残っていました!もし朱瞻基が生きていたら、叔父を処分したくても母が許さず、相当に頭を痛めたことでしょう。孫を三文安にし、弟をゴリ押ししたラスボス・太皇太后の存在が、じわりじわりと明の先行きを狂わせていくことに。宣徳帝は若微よりも母の殉葬を検討した方がよかったのかもしれません。無理だけど。

ところで、現時点で最初の靖難の役から45年近く経過していることになるのですが…
若微と胡善祥、年取らなさすぎ!朱祁鎮とそんなに年が変わらないと言ったら言い過ぎ?
さすがに太皇太后は老人メイクになってきていますが、若微たち姉妹は現役ピッチピチですよね!あの若さは異常♪

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

ご訪問くださりありがとうございます!中国ドラマ.com編集長のクルミットです!普段から韓国ドラマを見ていましたが、ふとしたきっかけで中国ドラマを視聴ときにスケールが大きに驚き、中国ドラマ、台湾ドラマにもハマりました(笑)子育て真っ最中ですが、読んでくださる方に伝わりやすい文章を心がけていますので、良かったらご覧になってくださいね♪よろしくお願いします!

コメント

コメントする