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クルミットです♪
やっと明に戻って来た朱祁鎮ですが、妻子を失って心が壊れた朱祁鈺の逆恨みで、南宮に幽閉されただけでなく、濡れ衣を着せられ妻・チムグを失うことに。若微は皇太后でありながらすでに実権を手放し、祁鎮を助けることができません。
ついに祁鎮は生き残るために決心を固め、同志を集めて決起することに。今回、残り2話で奪門の変による帝位奪還作戦と、若微の選択についての話が描かれます。62話の長きにわたって語られてきた朱家の悲喜劇も、ようやく終幕です。クセの強い朱家と明朝の顔触れともついにお別れ…寂しくなりますが、最後まで見守っていきましょうね♪
【大明皇妃 -Empress of the Ming-】(ネタバレあり)
第61話「奪門の変」
退官し、海賊の被害が出ている浙江を見て回りたいという于謙だったが、若微は退官せずとも大臣の身分のまま、三省巡按使として敵を一掃するよう命じる。于謙は若微に、模写した南宋の文天祥の自画像を贈る。滅びゆく南宋に忠誠を尽くして殉国した文天祥が、まるでこれからの于謙を暗示しているようで、若微は不安にかられる。
ここで于謙を逃がしてあげた方がよかったのかもしれませんね
宮中では新年の宴で劇が演じられ、皇族が集まって鑑賞していたが、そこに胡善祥の姿はなかった。その夜、石享、石彪、徐有貞、曹吉祥らが決起する計画だったが、今日が皇族の宴の日だと忘れていた石享は、皇族の護衛の兵が普段より多いことにしり込みし、別の日にしようと言い出す。しかし徐有貞が勝手に突撃をかけ、政変が始まってしまう。
顔ぶれが顔ぶれだけに不安でしたが、こんな行き当たりばったりの謀反そうそうない…
石享たちは景泰帝の寝宮を目指すが、後宮への入り口を開けてくれる手はずの曹吉祥が遅刻する。兵たちは興安らが蓄えている賂の略奪もたくらみ、寝宮の寝ずの番をしていた興安や宦官たちを次々に殺害していく。寝宮に到達した石彪は、丹薬の効果でうごめく景泰帝の姿に恐れをなし、金の置物を盗んで先に進む。
その頃、徐有貞は南宮に駆け付け「陛下をお迎えに参りました」と朱祁鎮に告げていた。
宮中の略奪とかやることが山賊まがいだし、徐有貞はカッコつけばかりだし…大丈夫?
若微は物音で目を覚ますと、双喜や侍女たちが怯えて腰を抜かしていた。宮中が混乱に陥る中、朱祁鎮は皇帝の輿に乗り、再び皇宮の門をくぐる。ほぼ宮中を制圧した石享は、隠れている者はいないか見て回るうちに、隠棲していた太皇太后・張妍を発見する。すっかり年老いた太皇太后は、この事態を理解しているのか、亡骸の散乱する宮中をぼんやりと歩いていく。景泰8年、西暦1457年、朱祁鎮「奪門の変」を起こす。
景泰帝はきっと、兄だけを溺愛していた祖母を大事にはしていなかったのでしょうね
政変の勃発を知らずに登朝した朝臣たちは、衛兵に包囲され大殿へと誘導される。若微も大殿に呼ばれ、ついに挙兵した息子が玉座で不敵に微笑むのを見る。正統帝への服従か死かの選択を迫られた朝臣らの意見は割れ、逆らうものが石享によって虐殺されていく様子は、靖難の役の再現のようだったが、若微は祁鎮に手を取られどうすることもできない。
異議を唱える朝臣がいることに少しホッとしたのですが、彼らは殺されるのですよね
祁鎮は寝宮に向かうと、横たわる弟の顔に枕を押し付けて殺そうとするが、とどめを刺すことをためらう。正統帝の復位を祝福する声が届き、朱祁鈺は自分が帝位を失ったことを知る。妻子と戯れる夢を見ていたと言う祁鈺に、祁鎮はチムグを殺された怒りがこみ上げ、「私を殺すべきだったな」と言い捨てて出ていく。
これが逆だったら、祁鈺はためらわないけど、自分でとどめは刺さないような気が
政変を主導した一同が、正統帝の復位を祝して待っていたが、于謙を始め、景泰帝が登用した37名が投獄されていた。祁鎮は、于謙が明を守った大功があるとためらうが、徐有貞をはじめ石享らも于謙の死罪を強く主張し、祁鎮は押し切られて于謙の処刑を認める。
そして祁鈺は、再び妻子との夢を見るため丹薬を大量に服用し、息絶えて発見される。宦官はその亡骸を布団に包んで引きずり出したのだった。
あっ!この布団ズルズルの場面は見覚えありますね!綱渡り和尚の予言的中です!
紅の官服で詔獄にやってきた徐有貞は、以前とは逆に今度は自分が皇帝にとりなす番だと、于謙に胸を張る。皇帝も于謙に官吏を続けてほしいと望んでいるというが、于謙は「お前のようにはなりたくない」と死罪を求める。互いの生き方の違いがあまりに分かり合えないことに于謙は笑い、「己の宿命を占ってみろ、天意を漏らす者の寿命は短い」と脅し、徐有貞は慌てて詔獄から逃げ出す。
いつも会いに来るのは徐有貞の方。勝手に期待して勝手に恨んで…于謙が気の毒です
錦衣衛が于謙の家を捜索するが、妻子とともに清貧を貫いたことの伺える自宅からは、何も不正や蓄財の証拠はなく、ただきれいに折りたたまれた官服が残されているだけだった。
処刑の刻限を迎えた于謙は、最後に辞世をしたため、国に忠誠をつくした生涯を終える。そんな于謙の忠臣ぶりを知る錦衣衛は、于謙の妻子へと皆の銀子を集めて置いていく。
徐有貞の官服と、于謙の官服と、そこに込められた気概も矜持も余りに違いすぎる…
朱祁鎮は何度母・若微のもとを訪れても、「もう邪魔はしない」と会ってはもらえなかった。何度も足を運ぶうち、ようやく会ってもらえることになるが…
むしろ、なぜ母に会ってもらえると思うのかと。許して誉めてもらえるとでも?
最終回(62話)「永遠なる航海へ」
皇帝となった朱祁鎮は母・若微に拒絶されていたが、ようやく面会がかなう。若微はすっかり老け込んでしまい、祁鎮に于謙の助命と官吏の解放を嘆願するが、祁鎮は聞き入れない。かつて濡れた綿入れと称した母の愛を脱ぎ、寒くても前に進む時がきたのだという。
そこで若微は、これまで息子に伏せてきた自分の出生と刺客の使命、そのことで永楽帝や宣徳帝から殺されそうになった過去を語り、これで親子の縁を断つと言う。祁鎮はにわかには信じられず愕然とするが、若微はすがる息子を振り払い、別れを告げる。
自ら脱ごうとした濡れた綿入れを、逆に母から脱がされ震える羽目になりましたね♪
天順帝となった祁鎮は、徐有貞と石享に于謙の助命を切り出そうとするが、すでに処刑は執行されていた。徐浜が于謙の亡骸を回収し、故郷に埋葬した件が問題にされるが、祁鎮は不問に付す。さらに37名の官吏も釈放・復職の命が下り、徐有貞と石享は不満を抱く。
これは、若微がもうちょっと早く祁鎮に会っていれば救えたのでしょうか?
若微は瀕死の状態にある皇太妃・胡善祥を訪ねる。祁鈺に「戾王」という悪諡をつけられたと聞いて、涙する妹を元気づけようと、悲しい話はやめて、子供の頃のように遊ぼうと馬車ごっこをすることに。若微が御者の馬車は蔓茵を乗せ、胡尚儀や両親の待つ天の国へ。蔓茵が心置きなく天に召されるように若微は熱弁をふるい、両親のもとへと蔓茵を送り出す…
この場面はまるで舞台劇のようでした。若微と蔓茵として別れができてよかったですね
徐浜は、病に倒れすっかり気落ちした若微に、于謙が生前記した詩・「石灰吟」を見せる。于謙の処刑の日、北京の民は忠臣の死を惜しみ、「処刑もまた于謙には本望」だったと諭す。若微は于謙に贈られた文天祥の絵に、于謙を称える詩を書き加え、また倒れ伏す。それを見た徐浜は、「若微」を連れ戻し航海に連れ出す、と言う。
辞世を書きつけていたのが実は代表作「石灰吟」、という演出になっているのですね!
二人で航海に出る、と聞かされた祁鎮は激怒するが、徐浜は、宮中に留め置けば若微はこのまま死んでしまうと説得を重ねる。とうとう祁鎮は「二度と中原に足を踏み入れるな」と折れることに。妻だけでなく、母と師という支えを失うことになり、祁鎮はひとり取り残され呆然とする…
皇帝の母が他の男と旅に出るのを認めろと言われても、まぁ、ないですよね♪
「三生石に刻まれた縁なら再会できる」という。若微と徐浜は三生石に刻まれた縁なのか、若微は「皇太后」から解放され、以前から約束していた航海に出ることに。徐浜は「後悔している、もっと早くそなたを連れて旅立つべきだった」と言い、二人は固く抱きあう…
ようやく念願の船旅に… こんなラストになるとは、ちょっと想定外でした!
61~62話の感想
靖難の役から始まったこの物語は、とうとう奪門の変に到達し、終幕を迎えました。オープニングは宣徳10年だったので、1435年→1402年→1457年という時系列をたどったことになります。
行き当たりばったりのドタバタだったのに成功してしまった奪門の変ですが、首謀者たちがあんな風に描かれているのも道理で、この後徐有貞は曹吉祥に陥れられ、石享と曹吉祥はあまりの横暴ぶりに、結局、天順帝(朱祁鎮)によって排除される羽目に。祁鎮は徹頭徹尾、于謙を使いこなせなかったツケを払い続けることになったようです。
于謙といえば、彼の家を捜索している時に妻子がいましたが…よくよく見比べてみても、38話で朱高煦から贈られた花嫁とは別の人のようです。あの花嫁はどうなった?
ところで、奪門の変の時にズルズルひきずられていた景泰帝の亡骸ですが、あれを見て「むむ、見覚えが?」と思われた方もいらっしゃるかと思います。そう、30話で永楽帝が語っていた、姚広孝の予言の書の映像です。今、改めて予言の内容を振り返ってみると、朱高煦たちの反乱と奪門の変だけでなく、「白竜魚服」云々と、土木の変まで言い当てていたのですね。朱祁鎮も朱祁鈺も、朱家にさえ生まれていなければ、もう少し幸せになれたのではないかと思えます。朱瞻基が長生きして、于謙をうまく使いこなしながら、朱祁鎮の帝王教育に成功していたら、歴史はきっと大きく変わっていたことでしょう。
そうはいっても、朱家の暗君製造能力は抜群なので、結局同じように滅ぶのかな…
しかし靖難から奪門まで約55年!靖難当時若微は8歳、蔓茵は4歳なので、ラストの若微はなんと還暦越え!それなのに徐浜と愛の逃避行… あのラストは正直どうなのでしょう。あの船上の若微、あまりに若すぎませんでしたか?あれを見て、そして徐浜の最後の言葉を深読みすると、もしかして若微は「出航までもたなかった」ということなのかな、とか想像してしまいました。そう思うとあのラストも納得できるかな。
若微という人物造形が、常に巻き込まれ型なので、何か「国を思い支えつつも、皇太后になりきれなかった普通の女性」のように見えました。いつもいるべきではない場所にポンと放り出されてもがいているような。その時代に翻弄され続けた生き様の着地点を「皇太后からの解放」という形で終わらせるのはアリだと思いますが、徐浜よりも朱瞻基の方につながりを濃く描いていたので、徐浜を思い続けている設定に説得力がイマイチ。そう朱瞻基を魅力的に描きすぎたのだと思います。そこがこのドラマの欠点♪
史実では、孫若微が亡くなったのは奪門の変から6年後、そこから朱家はダラダラと暗君を輩出し続け、約180年後に大明帝国は李自成に滅ぼされ、そして清の時代へと移っていきます。やはり初期の4代が最も明が輝いて、皇帝が皇帝らしかった時代だったのかもしれません。このドラマは朱家のホームドラマ「渡る明は鬼ばかり」という趣がありましたが、生まれ変わっても朱家にだけは生まれたくないですね!
62話の長丁場、お付き合いありがとうございました♪
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